はじめに

はじめに

ヒッピー・トレイルは、1960年から1970年にかけて、ヨーロッパから陸路でインドやネパールへ旅したルートのことです。
私は、その当時はまだ子どもでした。
私が中学のとき、家庭教師の先生が大学を休学してインド旅行に旅立ち、時折絵葉書をくれました。その時の一枚がネパールのポカラから見えるマチャプチャレで、「こんな風景、自分で見てみたい!」と強く思いました。
大学を卒業したら、お金をためてポカラに行きたいと就職せず、アルバイトでお金を貯めました。沢木耕太郎さんの深夜特急は決定打でした。1986年の出版ですから、大学を卒業してから読んだようですが、これを読んでアジアに絶対行きたいという思いが強くなりました。

1989年、26歳のとき、アジア旅行にひとりで行きたいと言ったら、周囲から大反対を受けました。怖気づいてしまった私は、まず手始めにと春にひとりでヨーロッパへ出かけました。旅先で出会った日本人に助けられ、どうにかウィーンに着きましたが、私は、英語が話せなかったので、片言で誰かに英語で質問しても相手の返答がまったく理解できないのです。バスにも電車にも乗れませんでした。道に迷ったらホテルに帰ってこれなくなるので、まっすぐに歩いて、同じ道を帰ってきました。
異国の地にひとりぼっち。言葉が通じないと誰かに助けてもらいたくても、助けてもらえないことを痛感しました。これ以上ひとりで旅を続けるのは危険と感じ、出直そうと一旦、帰国。どうしようかと旅行雑誌を眺めていて、ヒッピートレイルをたどるイギリスからネパールまでのバスツアーの広告を見つけ、「ツアーなら安全。大丈夫いける!」と次の日に申しこみました。

時代はバブル真っ盛りで、これから起こる世界を揺るがす大きな出来事なんて、私は想像もできなくて、街はどんどんきれいになって、努力しなくても自分のアルバイトの時給はどんどん上がっていく、こんな時代がずーと続くんだろうなって思ってた。そんな時代の、お気楽なぽわんとした旅行記です。

募集は日本の旅行会社でしたが、ツアーを企画していたのはイギリスの会社で、24万くらいだったと記憶しています。代金支払い後、イギリスのhann overland から英文の書類が届きました。旅行日程・持ち物・旅行前に必要なもの・旅行の流れなどが記されていました。待ち合せの時間と場所も。ロンドンの待ち合せ場所までの航空券や旅行に必要なビザや用具を準備。
そして、このサイトはブログのため、日時が新→旧となっており、旅のスタートは一番古い8月31日に日本を出発し、9月1日の記事で、ロンドンのHANNのオフィスに集合したところに続きます。

HANN OVERLANDから送られてきた案内文で理解ができず、ツアー参加後、分かったことですが、宿泊施設は、キャンプか安宿。旅は当番制で自分たちで運営していく。その費用は、週の当番の人が各自から何十ドルか集める。そのお金で三食分の買い物をし、食事を作る。キャンプ場やホテル代もそこから捻出するというのがツアーの内容でした。