はじめに

1989-10-31

Islamabad


誕生日。朝からすばらしい朝日。最高のプレゼント。



誕生日の夜
誰かがどこかで見つけてくれた缶入ケーキ


1989-10-29

Sukkar


ランチタイム。突然ラクダの商隊が




クエッタにある道標。ロンドンから9470km。




非常食(個人的)のバナナの仕入れにフルーツショップへ




たぶんインダス川



サッカルで泊まったホテル al habib hotel

1989-10-27

Quetta

--- 2020年追記 ---
トルコ最後の日に、次の国イランと国交がかんばしくなかったイギリス国籍の人とたぶん危険と判断してイラン入国しなかった数名は、一旦バスを降り、空路パキスタン入りし、私たち陸路組とクエッタで合流でした。
陸路組は「ハードな一日」を終えた次の日。空路組が来る前にみんなでバスの掃除をしました。



ホテルで空路組到着前にバスの掃除
  Hotel Bloom Star





1989-10-26

Taftan


--- 2020年追記 ---

イランーパキスタンの国境やクエッタは外務省の危険情報でもレベル3と4。外国人にとって、危険な地域になってしまいました。今ほどではなくとも、私が旅した80年代でも、クエッタやラホールは危険といわれていましたが、私たちは大きな問題もなく通過できました。
しかし、この日の朝、ガイド件ドライバーのブレントが、「ハードな日」「道が無くて迷うかも」って言っていて、ネットどころかガイドブックすら持っていなかった日本人組は意味が分からならず、「ははは。なにがあるの~」なんてお気楽でしたが、イランを出た後の悪路はなにかに例えるとモーグルのこぶをバスでつっこんでいる感じ。確かにブレントのいう通り道はなく、前に通った車の轍があるだけでした。バスの揺れで窓は勝手に開くし、閉めてもどこからか土埃が入ってきてバスの中で視界がない状態で前が見えない。バスがジャンプするたびに、大袈裟ではなく、お尻が30cmほど宙に浮くので、そのたび飛ばされないよう必死に捕まっていなければなりませんでした。
そしてこの日はこの旅で忘れることができない「ハードな一日」となったのでした。



ホテルの窓から見える建物。さすが国境




ホテルをチェックアウト。パキスタンへ




・・・・。



イミグレ。ホメイニ氏がバイバイしています



難民キャンプ?今となってはイラン側だったのか、
パキスタン側の写真だったのか記憶がありません。



クエッタまでの道・・・。というか道がない。



覆面。この苛酷な状況下、頭をガラス窓に何度もぶつけながらも

ぐっすりのmitukoと。イランで洗濯できなかった私のジャケットの汚れも凄い!




1989-10-24

Zahadan





ランチタイム




家?




ずっと砂漠。どこまでも砂漠。




野ラクダ




なんの施設かわかりませんが、絵が怖いです。刑務所???




Kerman

---2021年追記---
当時のイランは、イラン・イラク戦争が終わったばかりで負傷した方も街に多く、旅行者の私たちも明るい気持ちでいることは難しい雰囲気がありました。
また、毎日ほとんど朝から夜遅くまで砂漠の真ん中に一本だけある道を、ひたすらバスで移動するが日々、野営も続き洗濯やシャワーもできない日が続き、それもわたしの気持ちを重たくさせました。


ホテルのレセプションに模範的な服装が貼ってあります。
ロビーでもスカーフをとったら誰かしらに「だめよ」って注意されました。




ほんとに地球の表面しかない




車もあまり通りません。
トラックに手を振るとクラクションを鳴らしてくれます。



1989-10-23

Isfahan


--- 2016年追記 ---

わたしが、イランに行ったのは、イラン・イラク戦争が終わって半年後でした。日本ではガイドブックを入手できなくて、イランについてはまったく事前の情報を持っていませんでした。
ロンリープラネットを持っているツアー仲間に連れられて、ぼんやり歩いていると、突然目の前にイマーム広場が現れて、感動でくらくらしました。
イマームモスクには誰もいませんでした。とても静かで、気持ちは興奮しているのに、心は落ち着いていくような不思議な経験でした。しばらく座って青いタイルを眺めていたことを記憶しています。


イマームモスク




たぶん。イマーム広場




観光客はおろかイラン人も誰もいなく私だけのイマームモスクでした。






シーンとして、動くものは私と鳥だけでした。






今日も野宿。夕飯の支度をしています。


1989-10-22

Tehran


サイロ?いたるところにホメイニ氏
 



橋が壊れている。




ランチタイム。




街に出るときはこんな恰好


1989-10-20

Bazargan



Bazarganの朝、ホテルの駐車場にて
手作りのチャドルで、イランへ

1989-10-19

Dogubayazit


朝、ホテルの駐車場




車の調子が悪く修理のためしばし休憩




ブレントが修理している隣で私達は記念撮影。






ノアノ箱舟が着いたアララット山


1989-10-18

Van





ホテルの部屋からの眺め


道を聞きに入った HOTEL ASUR とてもプライトに接してくれた
www.buyukasur.com




美味しかったレストラン。昼食で







泊まったHotel VAN 入口が剥製だらけで博物館のよう



イランにむけてMy チャドルを作成中



指導はお裁縫上手のミツコ