はじめに

1989-10-26

Taftan


--- 2020年追記 ---

イランーパキスタンの国境やクエッタは外務省の危険情報でもレベル3と4。外国人にとって、危険な地域になってしまいました。今ほどではなくとも、私が旅した80年代でも、クエッタやラホールは危険といわれていましたが、私たちは大きな問題もなく通過できました。
しかし、この日の朝、ガイド件ドライバーのブレントが、「ハードな日」「道が無くて迷うかも」って言っていて、ネットどころかガイドブックすら持っていなかった日本人組は意味が分からならず、「ははは。なにがあるの~」なんてお気楽でしたが、イランを出た後の悪路はなにかに例えるとモーグルのこぶをバスでつっこんでいる感じ。確かにブレントのいう通り道はなく、前に通った車の轍があるだけでした。バスの揺れで窓は勝手に開くし、閉めてもどこからか土埃が入ってきてバスの中で視界がない状態で前が見えない。バスがジャンプするたびに、大袈裟ではなく、お尻が30cmほど宙に浮くので、そのたび飛ばされないよう必死に捕まっていなければなりませんでした。
そしてこの日はこの旅で忘れることができない「ハードな一日」となったのでした。



ホテルの窓から見える建物。さすが国境




ホテルをチェックアウト。パキスタンへ




・・・・。



イミグレ。ホメイニ氏がバイバイしています



難民キャンプ?今となってはイラン側だったのか、
パキスタン側の写真だったのか記憶がありません。



クエッタまでの道・・・。というか道がない。



覆面。この苛酷な状況下、頭をガラス窓に何度もぶつけながらも

ぐっすりのmitukoと。イランで洗濯できなかった私のジャケットの汚れも凄い!