* * * Diary 1989 * * *
風邪を引いて、ホテルの部屋に一人で寝ている。いつもは気にさわってしまう町の中の喧噪も今日は心地がいい。静かだったら心細く感じていたかもしれない。ひとりになったの、随分久しぶり。
Sukkar(October 29, 1989)
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ランチタイム。突然ラクダの商隊が |
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クエッタにある道標。ロンドンから9470km。 |
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非常食(個人的)のバナナの仕入れにフルーツショップへ |
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たぶんインダス川 |
サッカルで泊まったホテル al habib hotel
Quetta(October 27, 1989)
--- 2020年追記 ---
トルコ最後の日に、次の国イランと国交がかんばしくなかったイギリス国籍の人とたぶん危険と判断してイラン入国しなかった数名は、一旦バスを降り、空路パキスタン入りし、私たち陸路組とクエッタで合流でした。
陸路組は「ハードな一日」を終えた次の日。空路組が来る前にみんなでバスの掃除をしました。
Taftan(October 26, 1989)
イランーパキスタンの国境やクエッタは外務省の危険情報でもレベル3と4。外国人にとって、危険な地域になってしまいました。今ほどではなくとも、私が旅した80年代でも、クエッタやラホールは危険といわれていましたが、私たちは大きな問題もなく通過できました。
しかし、この日の朝、ガイド件ドライバーのブレントが、「ハードな日」「道が無くて迷うかも」って言っていて、ネットどころかガイドブックすら持っていなかった日本人組は意味が分からならず、「ははは。なにがあるの~」なんてお気楽でしたが、イランを出た後の悪路はなにかに例えるとモーグルのこぶをバスでつっこんでいる感じ。確かにブレントのいう通り道はなく、前に通った車の轍があるだけでした。バスの揺れで窓は勝手に開くし、閉めてもどこからか土埃が入ってきてバスの中で視界がない状態で前が見えない。バスがジャンプするたびに、大袈裟ではなく、お尻が30cmほど宙に浮くので、そのたび飛ばされないよう必死に捕まっていなければなりませんでした。
Kerman(October 24, 1989)
---2021年追記---
当時のイランは、イラン・イラク戦争が終わったばかりで負傷した方も街に多く、旅行者の私たちも明るい気持ちでいることは難しい雰囲気がありました。
また、毎日ほとんど朝から夜遅くまで砂漠の真ん中に一本だけある道を、ひたすらバスで移動するが日々、野営も続き洗濯やシャワーもできない日が続き、それもわたしの気持ちを重たくさせました。
Isfahan(October 23, 1989)
--- 2016年追記 ---
わたしが、イランに行ったのは、イラン・イラク戦争が終わって半年後でした。日本ではガイドブックを入手できなくて、イランについてはまったく事前の情報を持っていませんでした。
ロンリープラネットを持っているツアー仲間に連れられて、ぼんやり歩いていると、突然目の前にイマーム広場が現れて、感動でくらくらしました。
Van(October 18, 1989)
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ホテルの部屋からの眺め |
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道を聞きに入った HOTEL ASUR とてもプライトに接してくれた www.buyukasur.com |
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美味しかったレストラン。昼食で |
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泊まったHotel VAN 入口が剥製だらけで博物館のよう |
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イランにむけてMy チャドルを作成中 |
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指導はお裁縫上手のミツコ |
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